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「心」と「体」の繋がりについて理解してみませんか?

あなたは今、何についてお悩みでしょうか?

過去、現在、未来に関わらず、自分の人生において何が問題であると思っていますか?。誰が(何が)、どう変わったら(どうだったとしたら)、今よりもっと幸せになれそうだと思いますか?

病気や特定の症状といった「お体の問題からくる悩み」でしょうか?
将来への不安や対人関係のストレスといった「心の問題からくる悩み」でしょうか?
人はなぜ悩み苦しんだり、健康を害してしまうのでしょうか?
この問いに対する答えは、100人いれば100通りで実に様々だとは思いますが、

あなたを現在悩ますものが「心」と「体」いずれの問題だったとしても、その原因の根本にあるのが、あなたが「気づいていない」という事だとしたら・・・、どう思われますか?

今現在、「特に悩みがない」という方ですら、実は「気づいていない」、「分からない」、「混乱している」だけで、悩んでいる方と実は大きな違いがないとしたら・・・、どう思われますか?

では私たちは一体、何に「気づいていない」のでしょうか?

それは「自分が色々なものに束縛され、駆り立てられるように生きている」ということであり、
「あたかも自分の意思や、自由な選択によって生きていると錯覚している」ことでもあり、
分かりやすく言うならば、「わかっちゃいるけどやめられない思考や、感情や、反射的にとってしまう行動によって、突き動かされるように生きている、コントロールを失った不自由な存在である」ということに「気づいていない」という事なのです。

「気づいていない・・・でも、そのことが私の心や体の悩みとどう関係があるの?」

そう思われた方、興味を持たれた方は少し長くはなりますが、このページを最後までお読みくだされば幸いです。

心の問題であれ、体の問題であれ、あなたが悩んでいる正にその瞬間、

そこには必ず何らかの感情や思考が伴っているはずです。


モヤモヤ、ザワザワといった良く把握できないものから、怒り、悲しみ、不安や恐れといったはっきりと認識できるものまで・・・、そういった感覚や感情の背後には自覚出来る出来ないに関わらず、

「なぜ私が、こんな目にあうのか…」
「こんなはずではなかったのに…」
「なんとかしなければ、大変な事になるのでは…」
「理解できない、受け入れたくない…」
「あの人は(私は)~すべきだ、すべきじゃなかった…」

などといった様々な思いや考えといった、あなたなりの「解釈」が必ずあるはずです(「解釈」という言葉がピンと来ない方は「価値観」「信念」「思い込み」などといった言葉に置き換えても構いません)。これは別にネガティブなことだけに当てはまるものではなく、今幸せだと感じている方にも例外なく当てはまります。喜びやワクワクする感覚の背後には、あなたが正しいと感じた何らかの「解釈」があるのではないでしょうか?

私たちは、自分に幸せや喜びを与えてくれる「誰かや何か」を追い求めてはそれに「執着」し、かたや苦しみや悲しみを与える「誰かや何か」に対しては否定し反発しながら生きています(形の違う執着とも言えます)。どちらにしてもそこにはあなたの「解釈」があり、それに対するあなたの「執着」があることに変わりはありません。「ネガティブな解釈や執着」をした人は何かが間違っていて、「ポジティブな解釈や執着」をした人は何かが正しかった、という訳ではありません。

ポジティブであれネガティブであれ「執着」が強くなると、あなたは自分自身のコントロールを失ってしまいます。自分ではそれ(執着)を止められなくなってしまうのです。つまり「わかっちゃいるけど(わかっていなくても) やめられない」ような状態になってしまうのです。つまり「自分ではない何かにやらされている、突き動かされている」ような状態なのです。

もし本当に「自分自身の選択」でやっているのならいつでも好きな時に止められるはずですが、なかなかそれが難しい・・・。かの有名なお釈迦様はこのことを「無明」つまり無知であると言ったそうです。

ではこの状態を別の角度から説明してみましょう。


「パブロフの犬」のお話をご存知の方も多いのではないでしょうか?


ベルを鳴らした後でエサを与えられるように習慣付けられた犬は、その後ベルの音が聞こえるだけで条件反射としてお腹がすいたように感じ、ヨダレを垂らしてエサを欲しがるようになります。本来はそもそも関係のないはずの「ベルの音」と「エサ」とを関連付けるようになり、「ベルの音」が鳴ると「エサ」がもらえると信じている、勘違いしている・・・、という条件反射が起こってしまう訳です。

この犬にとって、エサが与えられる間は「ベルの音」は幸せと喜びを与えてくれる、さぞ素晴らしい音色に聞こえることでしょう。しかしある日から突然、「ベルの音」がしたにも関わらずエサがもらえない日々が続くと、怒りや悲しみなど多大なストレスを感じることになるのです。
さらに言えば、「ベルの音」が鳴ると「暴力を振るわれる」という習慣付けをされた犬にとっては、「ベルの音」が聞こえるという事は恐怖の対象でしかありません。

現実としてはどちらもただ「ベルの音」が鳴っているだけなのですが、それに対する反応は「どういう関連付け、条件付けがなされたのか?」によってポジティブにもネガティブにも変わりうる訳です。

つまりある出来事に対してどういう「解釈」がなされたか? によって「現実」の受け止め方は変わるのです。

「ベルの音が聞こえた・・・、やった、エサがもらえるはずだ。 嬉しい!」
「ベルの音が聞こえた・・・、また暴力を振るわれるのではないか? もう嫌だ!」

このように「ある条件」が起こることで、反射的に反応してしまうことを「条件付け」と呼ぶことにします。

もしこのような「条件付け」があなたの人生でも日常的に起こっているとしたら・・・、
自覚の有無に関わらず、そのせいで多大なストレスや肉体の不調にさらされているとしたら、信じられますか?

「気づいていない」ということが悩みや苦しみの原因になっている、と言ったのはこのことです!

当然ながら人間の場合は「パブロフの犬」の場合より問題は複雑になってきます。そしてどんな人でも例外なく大なり小なりの反応を心身に起こさせる「条件付け」というプログラムを無数に所有しています。

ある特定のタイプの人と接する時・・・、ある特定の扱いを受ける時・・・、ある特定の状況にさらされる時・・・etc、つい感情的(良くも悪くも)に反応したり、思考が止まらなくなったり逆に停止したり、という経験はないですか?

条件反射 私たちは日常で気づいている、いないに関わらず、ほとんどの時間をこういった「条件付け」からくる条件反射で生きているのです。「そんな訳はない!」とおっしゃる方も良く思い出してみてください。

「人から良く思われたい、嫌われたくない」
「もっと女っぽく(男らしく)振舞わなければ」
「出世して、成功して、認めてもらいたい、賞賛されたい」
「○○のようになれれば、もっと○○が手に入れば幸せになれるのに」
「誰も自分のことを分かってくれない、愛してくれない」

こういった一見常識とも思われる外的基準(外部や他人による評価)に由来した「解釈」や「条件付け」に縛られて一日のほとんどを過ごしているのではないでしょうか?

・なぜそう思うようになったのでしょうか?
・いつからそう考え、そういう解釈をするようになったのでしょうか?
・その理由は見つけられますか? そう考えて動いている自覚はありますか?
・でもその考えや解釈は本当の事だと思いますか? 絶対の真実だと言い切れますか?

こういった状態の背後には必ず特定の条件(状況・現実)に反射的に反応してしまう「条件付け=プログラム」が潜んでいます。そして厄介なのは、五感を通して入ってくるリアルな外的刺激に反応するのみならず、過去に起きた出来事を思い出したり、起こってもいない将来に対する思いや感情といった自分の内側から起こってくる刺激によっても条件反射が起こってしまうことです。

このような条件反射を起こす主要な原因として「トラウマ」の存在があります。そして一般的に「トラウマ」の多くは幼少期に親との関係性によって生まれます。

孤独な子供 「母(父)はずっと私を愛してくれなかった」
「いつも私を理解してくれなかった」
「何をやっても私を認めてくれなかった」

どういう状況で、どのような関係性の中で、親との間にどのような「解釈」を持ってしまったのかは、人それぞれ様々なパターンがあるのですが、こういった幼少期に植えつけられた「解釈」は強烈な「条件付け=プログラム」となって、その後の人生に大きな影響を与える事になるのです。

実はこういった問題は、私たちが心の底から、肚の底から自分自身を愛せたら解決できる事だったりします。

なのに私たちがやっているのは、自分に幸せや喜びを与えてくれる「誰かや何か=条件」を追い求めて執着し、かたや苦しみや悲しみを与える「誰かや何か=条件」に対しては否定し反発し続けるという事なのです。つまり条件を満たした自分は素晴らしく幸せになる価値があり、条件を満たせない自分はダメで幸せになる価値がない存在だと、無自覚に考えているようなものです。

自分の価値や幸せを、他者や外部の何か(基準や判断)に求めて依存してしまう時、あなたはあなた自身に対して「~でない私はダメだ、価値がない、愛されるはずがない」と自分自身に鞭打つ裁判官になっています!

何故こうなってしまったのか?。それはあなたのご両親もそう育てられてきたからであり、それ以外の愛し方、接し方、認め方を知らないからです。私たちの親も「気づいてなかった」のだから、どうにかしたくても他に選択のしようがないと思い込んでいたに過ぎません。これが長い人類の歴史上ずっと繰り返されて来ている事実なのです。

「パブロフの犬」と同じようにシンプルな「条件付け」から、生理的、心理的な問題を含んだ複雑なものまで、私たちは一日の大半を自分自身で身につけてしまった数多くの「条件付け=プログラム」によって突き動かされている不自由な存在なのです。そしてその事に気づかずに「あたかも自分の意思や選択で自由に生きている」と思い込んでいる「無知な存在」なのです。

うまく条件をクリアすることでひと時の幸せを感じられることもあるかもしれません。でもいずれ「もっと欲しい」「もっと頑張れば、手に入れれば、もっと幸せになれるはずだ」とラットレースに巻き込まれます。

ポジティブ、ネガティブどちらの条件反射に巻き込まれるにしても、自分の意思で自由にそれをコントロールできないのであれば・・・、つまり「わかっちゃいるけど(わかっていなくても) やめられない」ような状態であるならば、それは「自分がやっている」のではなく、「条件付けというプログラムにやらされている、突き動かされている」ことになるのです。

このように「自分であって自分ではない状態」によって突き動かされて生きている時・・・、「自分の意思による自由な選択」で生きていない時に、あなたが何らかの(恐らくは強烈な)ストレスを感じているなら、そこにこそあなたの悩みや苦しみの大きな要因へのヒントがあるのです。

そしてそのストレスは、「心」のみならず「体」にも多大な影響を及ぼしているのです。

思考から感情へ、そして体への影響について


極論ではないですが簡単に言うならば、心とは「思考」と「感情」で出来ていると言えます。

あなたの人生経験に基づいて身につけてしまった「条件付け=プログラム」とは別な言い方をすれば、「価値観」「解釈」「信念」「思い込み」「自己暗示」「呪い」・・・、など様々な言い方が出来るかと思いますが結局はただの「考え」「思考」にすぎません。
そして外部からだろうが内部からだろうが、これらの様々な「あなたの考え」を刺激する何かが起こると必ず何らかの感情がセットになって現れるのです。ネガティブだろうがポジティブだろうが、あなたの「思考」と「感情」はいつも一緒になって動きながら、目まぐるしく活動する「心」を形成しているのです。そしてこの「感情」のエネルギーはあなたの肉体にも大きな変化を生み出します。

例えばあなたが何かに対して「恐怖(恐れ)」を感じたとしましょう。その時あなたの体には次のような変化が起こりはじめます。

恐れ

・心拍の増加や血圧の上昇
・呼吸が浅く早くなる
・発汗作用の活性化
・血液中にアドレナリンなど状況を乗り越えるためのホルモンが分泌される
・肝臓から血液中に糖分が放出される
・「闘争:立ち向かうのか?」「逃走:逃げる、避けるのか?」といった状況判断と行動のために、脳や主要な筋肉への血流が増加して筋肉は緊張する(代償として末端部への血行は減少します)

まだ他にもあるかもしれませんが、要するにこういった体の変化を一度に引き起こすような作用の事を私たちは「恐怖(恐れ)」と呼んでいるのです。心で「恐怖(恐れ)」を感じるということは、上記のような体の変化そのものを指している訳です。


こういった心と体の繋がりは「恐怖(恐れ)」に限らず人間が感じうる様々な感情にも等しく当てはまります。

誤解しないで欲しいのは「恐れ」そのものが問題なのではありません。「恐れ過ぎたり」、「恐れを抑圧」したりすることが問題となるのです。同じことが「怒り」や「悲しみ」、そして一見ポジティブで問題なさそうな「喜び」などについても言えます。例えば「喜びすぎる」とそれはそれで心身に影響を与えますし、更なる「喜び」に執着して奔走し始めたり、「喜びを抑圧する」つまり自分の中の「喜び」という感情に向き合わなかったり、気づかないフリをしたりする生き方を送るとやはり問題となってくるのです。

感情は適切に表現されれば(味わえば)いずれは過ぎ去っていくものです。感情自体に良いも悪いもありません(生きていく上で全て必要なものです)。でも過剰になったり抑圧した状態が長く続くと上記のように確実に肉体の働きにも影響を与えます。

つまり心と体は実は連動して働く同じモノであり、現象としての現れ方や性質(目に見えるか?見えないか?、物質的なものか?エネルギー的なものか?などなど…)が異なるだけで、実は二つで一つ、切っても切り離せない同じモノなのです。

私たちが「条件付け=プログラム」によってコントロールを失い突き動かされるように生きているとき・・・
喜怒哀楽といった感情を適切に表現できず混乱して我を忘れてしまっているとき・・・
肉体の方も様々な変化と対応に追われてストレスや不調を感じているのです。

逆に肉体の不調が自分の思考や感情に大きく影響を与えることもあるでしょう。健康を害することで生き方や考え方までネガティブなっていくというお話は誰でも聞いたことがあるかと思いますが、それもまた事実なのです。

突発的で大きなショックやストレスはむしろ自覚出来るので対処がしやすいかもしれません(先天的な病気や問題についてはここでは触れませんが)。でも現代社会においてより大きな問題となるのは、あなたの自覚の有無に関わらず長年繰り返してきた「条件付け=プログラム」の方かもしれません。そのせいであなたの心身のバランスが長い年月をかけて崩されて蝕まれている可能性の方なのです。

例えば先ほどの「恐怖(恐れ)」が心身に引き起こす状態が慢性的に続いた場合、あなたは無意識に緊張して、呼吸は浅くなり、血流やホルモンバランスや神経伝達に異常をきたしているのに、気づかないフリをしたり、無視や我慢したり、自分に鞭打って頑張ったりしながら自らの肉体にさらなる負担をかけ続けているかもしれないのです。

実は感情も症状(肉体の変化)もあなたのための「アラーム」なのです。心が苦しい時、体がしんどい時、心と体はあなたが「パブロフの犬」のように「条件付け=プログラム」によって突き動かされていますよ!と教えてくれているのです。それによって自分がどれだけストレスを感じ、苦しんでいるかにちゃんと気づいてください!と促しているのです。多くの場合で感情的アラームの方が先に警報を鳴らしているはずですが、それが意味を成さないといずれ肉体を使って警報(症状)を鳴らし始めるのです。

現代人が悩む多くの不定愁訴、慢性疾患の原因は、生活習慣や環境の影響などももちろん大きな要因ですし改善していった方が良い事ですが、それ以上に、あなたの心身にインプットされた「条件付け=プログラム」に気づいていない…、無視している…、止められない…、自分自身を生きれていない…、と言った事が長い人生において「ほっておけない大切な問題」だと私は信じています。

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